2012年“平和-絆でつなぐ地球”日本語サミットパネリストの募集は、終了しました。
2011/11/9
2012年“平和-絆でつなぐ地球”日本語サミットパネリストの募集は、10月31日(月)に終了しました。
たくさんのご応募、誠にありがとうございました。
たくさんのご応募、誠にありがとうございました。
【満員御礼】“笑いと平和”日本語・日本文化世界会議inTOKYO
2011/11/09
2011年9月1日電通ホール(汐留)にて“笑いと平和”日本語・日本文化世界会議in TOKYO を開催致しました。
たくさんの皆様にご来場頂き、心より御礼申し上げます。
当日の様子は、下記日時で放映されました!!
◇日時:10月23日(日)15:00−15:49【NHK BS1・BSフォーラム】
たくさんの皆様にご来場頂き、心より御礼申し上げます。
当日の様子は、下記日時で放映されました!!
◇日時:10月23日(日)15:00−15:49【NHK BS1・BSフォーラム】
≪JRP オールドパネリスト(OP)からの、メッセージ≫
2011/06/08
今回日本で起きた、未曾有の大災害に対し、JRPのオールドパネリスト(OP)が、世界中の皆様に向けたメッセージを、お送り致します。
≪2006年度OP フランス代表 エリオス・ガルニエ≫
OPの皆様、お久しぶりです。2006年のフランス代表のガルニエ・エリオスです。
今日は、3月11日の東日本大震災の時、私は東京にいましたので、その時から今日まで私が感じたことを話したいと思います。
実は、2011年1月7日から9月1日まで日本で生活する予定でしたが、3月11日の地震のため、3月18日に在日フランス大使館と在籍しているリヨン大学からの命令で帰国させられることになりました。
地震の数日後、福島原発電所が爆発した時に、その状態の程度があまり知られていなかったから、リヨン大学から、まず大阪まで避難しなさいという命令がきました。それで、大阪で日本人の家族に迎えられることになりました。
それで、大阪で一週間ぐらい過ごしました(月曜日から金曜日まで)。大阪で過ごしている間に、リヨン大学は日本にいた約20人の学生を帰国させることを決定しました。なぜかと言うと、フランスにいる親たちが、日本についてのフランスのエキセントリックな報道を信じて、怖くなって、子供たちを帰国させるように大学側に圧力をかけたからでした。
ですから、学生は航空券・新幹線券代を自分で払って、帰国してから大学か保険会社が払い戻ししてくれると言われていました。
日本を離れるのは非常に悲しかったですが、ヨーロッパでは福島原発から放射能が拡散するおそれがあると思われていましたから、両親や家族などを安心させるために、帰国することが決定されました。
でも、実は、私は帰国することについて、大変恥ずかしいという思いを持っていました。逃走するイメージがあったからです。
また、二週間の予想より長くなって、結果的に一か月間ぐらいフランスで過ごしたことも恥ずかしかったです。
フランスで過ごしている間は、毎日日本語の新聞を読んでいました。日本を離れていても、直接的な情報を読めることは、
少しでも気持ちは安心できました。日本が頑張っていたこともよく分かったからです。在日の日本人の友達と毎日連絡を取っていました。
フランスのマスメディアの日本状況に関する情報は危機感をあおるようなニュースでしたので、ほとんどのフランス人が持つ日本の状況認識は真実とは違っていました。
初めは3月20日から8月20日まで、エライ・ジャパン(ERAI JAPAN)と呼ばれている会社でインターンシップする予定でしたが、東日本大震災のため、インターンシップの予定は延期され、5月9日からようやく始まることになりました。
日本で放射能の危険のないこと(今まで毎日チェックしていましたが、香港の数値のほうが高いとの話もありました)を確認していたので再来日することにしました。
両親も私の情報と判断を理解し、応援してくれました。4月26日に東京に再入国しましたが、非常に嬉しかったです。
フランスでは、チェルノブィリ原子力発電所の事故があったから、原子力事故に関する事件はいつもパニックをひき起こします。
実は1986年のチェルノブィリ原発事故の時、チェルノブィリの放射能雲はフランスの国境際で止まったとフランス政府によって発表されたのですが、実際はフランス国内の喉頭がん患者発生率は高くなったと言われています。このような結果として、フランス人は同様の事故の時、政府を信用することができなくなっているのです。また、今回はフランス政府はチェルノブィリの時と間逆の、最悪のケースを想定して、いち早く日本からの退避勧告を出したりしたので、日本中のフランス人がさらに大きいパニックを起こすことになりました。
再来日してから気付いたのですが、東北で大災害が起こったものの、東京に住んでいる日本人の生活はいつもの通りに戻っていて非常に驚きました。
日本人はこのようなことでもパニックにならなかったのです。
5月1日に、2010年のデンマーク代表のレアケと2003年の中国代表のショウカと一緒に先生のお宅を訪問しました。
大いに東日本大災害などについて話して、OPの皆さんの最新情報を聞いて非常に楽しい時間を過ごしました。
特に、先生に手料理を作っていただいて大変美味しかったです。
≪2006年度OP フランス代表 エリオス・ガルニエ≫
OPの皆様、お久しぶりです。2006年のフランス代表のガルニエ・エリオスです。
今日は、3月11日の東日本大震災の時、私は東京にいましたので、その時から今日まで私が感じたことを話したいと思います。
実は、2011年1月7日から9月1日まで日本で生活する予定でしたが、3月11日の地震のため、3月18日に在日フランス大使館と在籍しているリヨン大学からの命令で帰国させられることになりました。
地震の数日後、福島原発電所が爆発した時に、その状態の程度があまり知られていなかったから、リヨン大学から、まず大阪まで避難しなさいという命令がきました。それで、大阪で日本人の家族に迎えられることになりました。
それで、大阪で一週間ぐらい過ごしました(月曜日から金曜日まで)。大阪で過ごしている間に、リヨン大学は日本にいた約20人の学生を帰国させることを決定しました。なぜかと言うと、フランスにいる親たちが、日本についてのフランスのエキセントリックな報道を信じて、怖くなって、子供たちを帰国させるように大学側に圧力をかけたからでした。
ですから、学生は航空券・新幹線券代を自分で払って、帰国してから大学か保険会社が払い戻ししてくれると言われていました。
日本を離れるのは非常に悲しかったですが、ヨーロッパでは福島原発から放射能が拡散するおそれがあると思われていましたから、両親や家族などを安心させるために、帰国することが決定されました。
でも、実は、私は帰国することについて、大変恥ずかしいという思いを持っていました。逃走するイメージがあったからです。
また、二週間の予想より長くなって、結果的に一か月間ぐらいフランスで過ごしたことも恥ずかしかったです。
フランスで過ごしている間は、毎日日本語の新聞を読んでいました。日本を離れていても、直接的な情報を読めることは、
少しでも気持ちは安心できました。日本が頑張っていたこともよく分かったからです。在日の日本人の友達と毎日連絡を取っていました。
フランスのマスメディアの日本状況に関する情報は危機感をあおるようなニュースでしたので、ほとんどのフランス人が持つ日本の状況認識は真実とは違っていました。
初めは3月20日から8月20日まで、エライ・ジャパン(ERAI JAPAN)と呼ばれている会社でインターンシップする予定でしたが、東日本大震災のため、インターンシップの予定は延期され、5月9日からようやく始まることになりました。
日本で放射能の危険のないこと(今まで毎日チェックしていましたが、香港の数値のほうが高いとの話もありました)を確認していたので再来日することにしました。
両親も私の情報と判断を理解し、応援してくれました。4月26日に東京に再入国しましたが、非常に嬉しかったです。
フランスでは、チェルノブィリ原子力発電所の事故があったから、原子力事故に関する事件はいつもパニックをひき起こします。
実は1986年のチェルノブィリ原発事故の時、チェルノブィリの放射能雲はフランスの国境際で止まったとフランス政府によって発表されたのですが、実際はフランス国内の喉頭がん患者発生率は高くなったと言われています。このような結果として、フランス人は同様の事故の時、政府を信用することができなくなっているのです。また、今回はフランス政府はチェルノブィリの時と間逆の、最悪のケースを想定して、いち早く日本からの退避勧告を出したりしたので、日本中のフランス人がさらに大きいパニックを起こすことになりました。
再来日してから気付いたのですが、東北で大災害が起こったものの、東京に住んでいる日本人の生活はいつもの通りに戻っていて非常に驚きました。
日本人はこのようなことでもパニックにならなかったのです。
5月1日に、2010年のデンマーク代表のレアケと2003年の中国代表のショウカと一緒に先生のお宅を訪問しました。
大いに東日本大災害などについて話して、OPの皆さんの最新情報を聞いて非常に楽しい時間を過ごしました。
特に、先生に手料理を作っていただいて大変美味しかったです。


















